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06 私のせいじゃないもん

 後に彼女はこう言う。
「わ……私のせいじゃないもん……」


 さて、ちょっと考えてみてほしい。
 クラスメートの彼はとにかく大変な人気者で、見た目も美しく派手であるわけだが(セレスティアに比べると、翼も尻尾も角もないヒューマンの地味なことといったら!)それ以上にその優秀すぎる成績のせいで他の学校にも名前が知れ渡っていた。具体例を出すときりがないので割愛するが、男子にも女子にも大変好かれているようだ。
 そんな人物に、突然抱きつかれたら?
(えーっとえーっと……。え、えー……?)
 身動きとれないほど拘束はきつく、解放を望んでも無視されて、奈澪は大いに混乱した。
 一体何が起きている。動揺があまり顔に出ない奈澪にしては珍しく、顔の筋肉が小刻みに痙攣しているのを自覚した。頭の中は疑問符が嵐のように飛び交っているのに、密着した体から伝わるぬくもりが妙に心地よい。意表を突かれすぎて脳みそが処理落ちしたらしい。
 何やら責められているようだがその意味も分からず、戸惑いながらもそのまま抱かれていた奈澪は、体温を分け与えられているうちにだんだんとこの状況に馴染んできてしまった。
 なんとはなしに、相手の肩に頭を預けてみる。すると背中にあった手が片方外れ、それでいいんだとでも言いたげに奈澪の後ろ頭を撫ぜた。
(……ええと……)
 どうしよう。きもちいい。
 全寮制で、誰もが親元から離れて暮らしているクロスティーニ学園では、当たり前だが頭を撫でられることなどない。友人同士でふざけてすることはあるかもしれないが、教師とて幼子というわけでもない生徒の頭に軽々しく触れたりはしない。
 こんな風に誰かに撫でられたのは、何年ぶりだろう?
 ぼんやりとそんなことを考えながら、奈澪は自分も透夜の背中に手を回した。そうするべきだと本能が激しく訴えかけていたので。
「ん……」
 指先に、ヒューマンではあり得ない羽毛の感触がした。
 初めての経験なのに、こうして透夜と密着することには何の抵抗も感じなかった。むしろ落ち着く。ずっとこうしていたい気さえする。
(うーん……)
 彼の方から抱きついてきたのでなんだか絆されたような形になっているが、もともと奈澪は透夜に対して並々ならぬ感情を抱えていた。
 成績面でライバル視していたのも、ある時わざわざ本人のところへ行って挑戦状を叩きつけるような真似をしたのも、彼を意識していたからだ。いつか追い抜かして彼に認めてもらうんだという目標と、お近づきになれたらいいなという願望も持っていた。はっきり意思表示するような勇気はまだまだなかったけれど、有り体に言えばすきだったのだ。
(……でもこの展開は予想外)
 今年になって運良く同じクラスになり、何度か一緒にパーティを組んで探検に行き、少なくとも友人にはなれたかなと思っていたが、出会い頭に抱きしめられるほど仲良しにはなっていなかったはず……?
「あの……透夜?」
 これ以上この腕の中にいたら、幸せな勘違いをしてしまいそうだ。あまりにも心地よい安寧にずっと身を委ねていたくなるのを堪え、奈澪はおそるおそる声をかけた。
「ああ……悪い」
 緩慢な動きで透夜はようやく奈澪を放した。離れてゆく両の手が妙に名残惜しげだ。
「どうかした、の?」
 膨らむ期待を押しやって、奈澪は努めて平静を装った。そうでもしないと頬が緩んでにやけてしまいそうだ。どうしよう。胸が高鳴る。
「どうかしたも何も、お前、今までどこに――」
 と、そこでようやく、彼は異変に気づいたようだ。奈澪の体を上から下までしげしげと見つめ、「はあ!?」と驚きの声をあげた。
「その格好……」
「あ、気づいた?」
 えへっと奈澪は得意げな笑みを浮かべる。制服は特に変化なくそのままだが、魔法使い科共通のマントは外されており、代わりに赤く長いスカーフを巻き、腰にはホルスター。
 こんな格好をする学科は一つしかない。
「ガンナー……?」
「うん。転科したの」
 多種類の魔法を使いこなす魔法使い科から、銃でもって敵を滅するガンナー科へ。
「な、なんでまた」
 狼狽する透夜にどう答えたものか、奈澪は言い淀んだ。その疑問に答えるのは少しばかり難しい。
「……結構悩んだんだけどね。魔法使いとしてもまだまだ未熟なのに、違う道に路線変更するなんておこがましいかな、とか」
 言いながら顔を上げれば、怖いくらい真剣な眼差しにぶつかった。
 彼を追って、彼を目指して、奈澪はできる限りの努力をした。ヒューマンとしては他に類を見ないと先生たちに言われるくらいには結果も出した。だが、誰もが自覚したように、奈澪もやっぱり透夜にはかなわなかった。
 悔しさはある。生まれ持っての才能と種族の差が妬ましくもあった。
「でも、あなたが魔法使い科で魔法学を極めるなら、私はヒューマンにしかなれない学科でトップを目指しても、いいかなって」
 ガンナーになれるのはヒューマンだけだ。ヒューマンだからセレスティアに勝てないというのなら、違う土俵に移ればいい。ふと思いついたその考えは、前例こそなかったものの、わりといい案に思えた。
 なぜならクロスティーニ学園は、生徒同士で競う学校ではなく、お互い協力しあって探検技術を学ぶ学校だ。転科しても習得した魔法はそのまま使えるのだし、多少ハンデを背負うことにはなるが、魔法も使えるガンナーというのもいいんじゃなかろうか。
「それじゃあ……今までパニーニ学院に?」
「うん、そう。転科試験受けて、盗賊力技能検定受けて、それから集中講座受けてた。本当は三日で終わらせるつもりだったんだけど、五日もかかっちゃった」
 ガンナー科があるのはパニーニ学院だけだ。転科試験には難なく合格したものの、盗賊力技能検定はクロスティーニ学園であらかじめ受けておけばよかったと奈澪は若干後悔していた。その分の時間をガンナー科の集中講座に使っていれば、もっと早くに帰ってこられたはずなのだ。
「いや、それだって充分早いだろ……。って、それより! 転科しにいくなら行くって、先に言っとけよ!」
「え?」
「せめて届け出するとか先生に言うとか――人がどんだけ心配したと思ってんだ!?」
「え……っと……」
 突然叱られて、奈澪は戸惑ったように目をぱちくりさせた。落ち着きなく柔らかな栗色の髪を撫でつけながら、ひどく言いにくそうに口を開く。
「先生には……言っておいたん、だけど……?」
「――は?」
 ぽかんとする透夜のまぬけ面は、レアだった。
「だ、だってほら、転科って一人で決められることじゃないでしょ? 手続きには先生の許可もいるし。だから、パニーニ学院に行く前に、先生にはちゃんと言ったよ……?」
「…………」
 ――担任に担がれたのだと気づいた瞬間、透夜が漏らした罵倒は、さらに輪をかけてレアだった。
「あの……ご、ごめん……?」
 滅多に見ない透夜のしかめ面に、奈澪はおそるおそる謝罪した。
 前例のない在学中の転科に対し、やれるだけやってみろと許可は出してくれたものの、他の生徒への影響を恐れてか奈澪の事情はしばらく隠蔽されていたようだ。透夜がどんな説明をされていたのか奈澪には知るよしもないが、探検に出れば一週間くらい授業を欠席するのが当たり前の学校だし、少しくらい休んだところでそうそう問題にもならないだろう――と思っていたのは、甘かったのだろうか。
(ま……まずったかな……)
 どうやら随分と心配されていたらしいことは、先ほどの彼の行動やこの顔を見ればなんとなくわかる。なにしろ顔色は悪いし目は赤いし隈はあるし。しかし、まさか彼がそんなに心配してくれるとは、まったく思っていなかったわけで。
 この気まずい空気をどうにかしようと奈澪は焦り、あたふたとフォローに入った。
「ええと……その、私ね、転科はしたけど、まだこっちで学ばなきゃならないこともたくさんあるし、しばらくは学校を行ったり来たりすることになるの」
 残っている魔法使い科の授業や共通科目は引き続きクロスティーニ学園で履修しなければならないが、ガンナー科の授業はパニーニ学院でしか受けられない。片道でも半日はかかる両学校を往復しながら授業を受けるのは、普通に考えれば無茶としか言いようがない。
 それでも奈澪は、やると決めたのだ。卒業を待たずに転科してもメリットはないに等しいと言われても、燻りながら魔法使い科にい続けるよりはずっとマシだ。無茶なのはわかっているが、やってやれないことはないだろうと思っていた。
「だからね、その、まだクラスが変わることもないし――っひゃ!?」
「もういい」
 再び抱きしめられて奈澪の声が裏返る。全身を強ばらせた奈澪の耳元で、透夜がそっと囁いた。
「……お前が好きだ」
 体中に電流が走ったような気がした。薄々、もしかしたらそうなのかなと期待を抱いてはいたけれど、いざ本人の口から実際に聞かされると衝撃で頭が真っ白になった。
 反応のない彼女に恐れを抱いたのか、透夜はさらに腕に力を込める。奈澪はその腕に震える手のひらをそっと乗せ、びっくりするくらい近いところにある相手の顔を見上げた。
「わ、私も――」
 皆まで言うことはできなかった。頬を赤らめる奈澪を見下ろす透夜の眼差しが、ふっと緩む。
「そ、か。よかった」
「う……ん」
 なんと言ったらいいのかわからず、お互いの顔を見つめあう。しばらくして、どちらからともなく目を伏せ、唇が――


「――あらやだ、まだ終わってなかったの?」


 ――重ならなかった。
「み……美麗ちゃ……!?」
 なんでここにいるの!? 驚愕に打ち震える奈澪の肩に、がっくりと脱力した透夜が顔を埋めた。滅びろフェアリー族め、とおよそ彼らしくもない呪詛が聞こえた気がした。
「あらー、ごめんね二人とも。そろそろうまい具合に落ち着いたかと思ったんだけど……。ちょっと早かったかしら」
「な、な、な――」
 早かったかしら、ではない! なぜ、なぜ今現れた!
(わざと!? それとも嫌がらせ!?)
「あ、でも今ちゅーしようとしてた? てことは二人とも両想いにはなったのかしら。よかったわね!」
 よかない! ちっともよかないぞ!
「でもだめよー、教室で変なことしちゃあ。誰が来るかわからないし、お付き合いするにしても、モラルは守らないと!」
「お前が言うなあああああ!!」
 がばり、と勢いよく顔を上げ、透夜が血を吐くような叫びをあげた。
「なんで邪魔すんだ! 空気を読め!! お前はなんか俺に恨みでもあんのか!?」
「やーねえ、恨みなんてないわよー。ただ、なぜかからかいたくなるのよね。てへっ」
「なにが『てへっ』だ、ぶっ殺すぞてめえ!」
 ぶち切れた透夜がとうとう美麗に掴みかかろうとし、それをフェアリーらしい動きで美麗は華麗に回避した。空中を滑るように舞うフェアリーに、完全に頭に血が上っているセレスティアが翻弄されている。
(セレスティアでもぶち切れること、あるんだ……。……そりゃそうか)
 奈澪は頭が痛くなってきた。
 机を蹴倒し椅子を投げられ、逃げ場に困ったらしい美麗が「きゃー、透夜がいじめるー」とひどく楽しげに言いながら窓を開け、3階から空へ飛び立った。
(あー……)
「逃がすか!!」
 吼えて透夜も後に続く。セレスティアの翼が力強く羽ばたいて、飛行速度で劣るフェアリーにすぐさま追いついた。空中戦の始まりだ。
「……えーと……」
 その上魔法まで使い始めたらしく、目映い朝日をバックに炎や雷撃が飛び交い始めた。未だかつて見たことがないほどのくだらない争い、そして魔法の無駄遣いだった。一応、当たっても死なない程度の手加減はしているようだが――
「これ、先生にばれたら大目玉だよね……」
 彼らを止めようにも、空を飛べないヒューマンにはどうすることもできない。ここからでは魔法も届きそうにないし、範囲魔法を使ったところで高速移動している彼らには当たらないだろう。
「むう」
 端から見ていると、ぎゃあぎゃあ騒ぎながら追いかけっこをする彼らはなんとも楽しそうではないか。空を飛べるっていいなあと奈澪は仲間外れにされたような気になってきた。あーあ、せっかくいいところだったのに。
「んー……」
 どうしたものかと思案する彼女の視線が、腰に下げた一丁の拳銃のところで止まった。
 それは転科試験に優秀な成績で合格したお祝いにと、パニーニ学院の先生から譲り受けた品――シャドーバレルである。いつでも使えるようにと、純銀製の弾丸もきっちり装填されている。
「ガンナー科に入って四日、銃を手に入れてからは二日――これで当たったらすごいよね」
 ひとりごち、奈澪はシャドーバレルを抜いた。
 教わった通りに構え、撃鉄を起こし、狙いを定める。
 変なところに当たったらごめんね、と先に謝りながら、奈澪はクラスメート二人に向かって銃をぶっ放した。


 30分後、三人は揃って騒ぎに駆けつけた先生たちに思いっきり怒られた。
「怪我がなかったからよかったようなものの――」
 その一言にこっそり舌打ちしたのは、一人ではなかったという。